ツレズレ日記

日々思ったことを書いていきます。

道案内は難しい

道案内というのはけっこう難しい。電話で聞かれて正しい道順を伝えてもなかなかうまく伝わらないことが多い。右に行ってくださいと言っても左に行く人もいる。「目の前に〇〇の看板があるんだけど」と言ってくる人もいる。知るかバカと言いたくなるのを我慢することになる。

 

それにしても地図を見れば簡単にわかるのに他人に聞いてきてイライラしているのもよくわからなかった。わかりにくい場所にあるとか森の中にあるとか言うなら迷うのもわかるけどなんで迷うだよと言いたくなったがそういう人はたくさんいた。しかしスマホの普及が状況を一変させた。

 

道を聞いてくる人が一気になくなったのだ。みんなgoogleマップを調べて道に迷うということがなくなった。本当にスマホ様様だ。だけどそれでも一年に1回か2回道を聞いてくる人がいる。経験上だいたいやばい人だ。このスマホが普及している状況で道を聞いてくるという時点でかなりおかしい。

 

90パーセントくらいの確率でモンスターだった。自分が目的地に行く時は家を出る前に道順を確認してからでかけている。スマホが普及する前も普及してからもそうしている。まったく調べずに出かけて道に迷うという人間が不思議でならない。なんにしてもスマホのおかげで他人に道を聞いてくるモンスターが少なくなったことは感謝すべきだろう。

親切は難しいと感じる時がある

他人から親切にしてもらえれば嬉しいし自分も可能な限り他人には親切にしてあげたいと考えている。別に見返りを求めているわけではなくそのほうがお互い気持ちがいいだろうと思うからだ。だけど知らず知らずのうちに他人から感謝の気持ちや態度を求めてしまっている。

 

人間だから仕方ないとは思うけど「ありがとう」「本当に助かりました」と笑顔で言って欲しいのだ。そこまで強く求めているわけではないけどそういう反応がないと少しがっかりしてしまう。親切が難しいと感じる時は毎回やってあげるとだんだんそれが当たり前となり感謝の反応が少なくなることだ。

 

本当は毎回親切にしてあげるほうが感謝も大きくなって当然なはずだけどそうはならない。人間は慣れる生き物だからだ。たまに親切にするほうが感謝される場合もある。そういうことを考えてしまう自分は小さい人間だと自分でも思う。だけど人間として自然のことという気もする。

 

親切にしてあげてもしかめっ面で無言だったり感謝どころか不満を言ってきたら「ふざけるな!!」という気持ちに誰でもなるだろう。親切にしてあげるつもりが大きなお世話という場合もある。親切にしてあげたつもりがクレームのようなことを言われたらかなりつらい。他人に親切にしてあげるのはいいことに違いないが色々難しい面があることも確かだ。

物忘れが激しい

僕は物忘れが激しい。脳に欠陥があるのか普通の人に比べて物忘れが激しい。以前は自分の物忘れを甘く見ていてよくトラブルにあった。僕は自分のミスにも他人のミスにも寛容なのでうっかり忘れるのは人間だから仕方ないという考え方だった。僕は他人のミスを許しても他人は僕のミスを厳しく追求してきてトラブルになった。

 

平凡なやり方だけどメモを取るようになってからトラブルは激減した。メモを見返すと自分の忘却力のすごさに驚くことがある。絶対忘れないだろうと思っていたことも完全に頭から抜けている。ささいなこともなるべくメモに取るようにしている。小さな約束も大切にするためだ。

 

ブログに書きたいことはなぜか職場にいるときは頭にどんどん浮かんできて家に帰ると完全に忘れているというようなことがよく起こった。職場というストレス状態に置かれると脳が活性化するのか様々なことを考えてブログに書きたくなるのだけど家に帰ると書く内容も書きたいという欲求も消えてしまう。

 

そこでブログに書きたいことを思いついたときは仕事の手帳に書く事にしている。仕事のことをメモしているように見えるので特に問題は生じない。とにかくすぐにメモしておかないと完全に書きたいことを忘れてしまうのだ。書きたいことさえ決まっていれば家に帰ってからもわりとスムーズにブログを書く事ができる。職場で書ければいいのだけどさすがにそれは無理なので諦めている。

大相撲の謎

貴乃花親方が突然引退してにわかに大相撲が注目を集めている。確かにいろいろわからないことがあり謎があり不思議なことがある。だけどもっと根本的なところで大相撲には謎がいっぱいある。まずこの現代社会で力士になりたいという人がいるのが不思議だ。

 

十両になるまで無給で下働きのような待遇なのだ。厳しい稽古に耐えてさんざんただ働きさせられ、しかも大部屋に雑魚寝の生活でプライベートはなし。十両になれるのは百人のうち数人という話を聞いたことがある。そんなブラック企業真っ青な待遇に、常になりたいという人がいるのが一番の謎だ。

 

運良く十両になれれば給料がもらえ個室ももらえるといっても幕下に落ちればすぐになくなる。そもそも給料とか個室って今の時代、最低限の条件だろう。さらに幕内に定着して活躍しても親方として相撲界に残れる可能性は低い。親方の娘と結婚するとか部屋に後継者がいないとかでないとなかなか親方になれないらしい。

 

大活躍しても親方になれない人がいる一方、親方の娘と結婚したとたん引退してしまう人とか幕内1場所しかしていないのに後継者がいない部屋の親方となってしまった人もいる。つまり親方になれるかどうかは運の要素も多く、なれない可能性が極めて高い。力士なんて30歳までやれればいいほうだろう。

 

ほとんどの人は第二の人生を迎えることになる。最初から違う世界にいたほうがいいような気もするけどどうなんだろうか。戦後日本が貧しかった頃は好きなだけ食事ができるということで力士になる人が多かったという。今はそういう時代ではない。相撲界にいると目に見えないいいことがあるのだろうか。そのいいこととはなんなのか少し考えてしまう時がある。

逃亡犯はコミュニケーション強者

逃亡犯が日本一周旅行を装っていたということはけっこう驚いた。民家の家に泊めてもらってお礼の手紙を書いたり県庁を訪れて観光マップをもらって日本一周の紙をラミネートしてもらったりしていたという。大胆にも写真を記念写真まで撮っていたのだからすごい。

 

警察から追われていてもけっこう逃げれるものなのだろうか。それにしても驚くのはコミュニケーション能力の高さだ。見知らぬ人と良好な関係を築いて民家に泊めてもらうことなど僕にはできそうもない。写真を見ると健康的に日焼けしていてリア充のような雰囲気だ。

 

警察に追われながら日本一周をしようとするなど精神面もそうとう強い。行動的でもある。犯罪者でなかったら相当優秀な人間だったのではないかという気がする。僕にはどれ一つできそうもない。コミュニケーション能力というのは努力して身につくものではない。

 

出来る人は最初からできるし出来ない人はいつまでもできない。僕はコミュ障で今までの人生で苦労した。今はなんとか波風が立たないように人と接することができるようになったがそこまでである。この逃亡犯は恐らく生まれながらにしてコミュニケーション能力が高かったと思われるが犯罪者になるなどもったいない話だと感じた。

話の腰を折る奴

時々人の話の腰を折る人間がいる。こちらが長話をしていたならともかく少し話をしただけで人の話をさえぎって自分の意見を話をしだす人間だ。そういう奴に限って自分の話は無駄に長い。会話はキャッチボールということをわかっている人間ならある程度自分が話したら今度相手のターンで話を聞く姿勢になる。

 

ごくまれにそれがわからず話しまくる人間がいる。さらには重箱の隅をつつくような細かいことを指摘したり否定したりして他人の話の腰を折るのが得意だ。そこはスルーするところだろと言いたくなるようなことでゴチャゴチャ言ってきたりする。今から考えるとアスペルガーとか発達障害だったのかもしれない。

 

病気だったのだから本人に責任はなかったと言えるかもしれない。少なくとも今まで3人はそういう人間に出会ってきた。反面教師として他人の話の腰は折らない、他人の話をきちんと聞くということを意識している。残りの人生で他人の話の腰を折りまくる人間と関わらないで済むことを祈っている。 

静かに生きることの難しさ

何回か書いてきたことではあるけど僕は静かな気持ちで生きたいという思いが強い。思えば10代の頃からそうだった。だけど自分の責任も大きいのだけどトラブルに色々巻き込まれて静かな気持ちとは正反対な生活を送らざるを得なかった。それが最近静かな気持ちで生きていくことができるようになってきた。

 

これは運良く周囲の環境が好転したからなんだけど久しぶりにまたトラブルに巻き込まれ心が揺れ動いた。とは言っても以前に比べればたいしたことではない。たいしたことではないはずなのに心が動揺して世界中の不幸を背負ったような気分になってしまった。

 

平和になれすぎるとささいなことでも不幸を感じてしまうということもありそうだ。トラブル続きの時は心がまひして少々のことでは何も感じなくなってしまう。そんな生活よりは平和の方がいいのだけど、ささいなことで心が動揺するようになってしまったかもしれない。静かな気持ちで生きることの難しさを感じた。

 

それでも今回のトラブルで自分は静かな気持ちで生きたいというのが人生の優先順位1位だということが改めてわかった。楽しい気持ちになることよりもトラブルを避けたい気持ちが強い。人生、守りに入っているとか保守的だとかいろいろ批判はあるけど知ったことではない。自分が感じる幸せこそが絶対的に大切だ。