ツレズレ日記

日々思ったことを書いていきます。

ホリエモンがタクシーの運転手と喧嘩している動画を見た


ホリエモンが大阪のタクシーにマジギレ!

ホリエモンがタクシーの運転手とマジギレして喧嘩している動画をアップしていた。喧嘩の理由はホリエモンが3度行き先を告げたにも関わらずタクシー運転手が「わからない」「知らない」を繰り返したということのようだった。ホリエモンは「あんたみたいなタクシー運転手をなくしたいんだ!!」「俺はいったいいつになったら目的地に着けるんだ!!」と怒っていた。

 

タクシーの運転者は「もう他のタクシーに乗ってくれ!!」と叫んでいた。しかしホリエモンは「タクシーは客を乗せてから乗車拒否はできないんだ!!」と主張していた。ホリエモンという人は本当にブレないし意地をつらなく人なんだなあと思った。尊敬する部分もあるけど損な性格でもあると感じた。

 

普通は押したり引いたり計算して行動するけどこの人は意地をつらぬくことを優先している。意地をつらぬいて刑務所に数年入ったくらいだから筋金入りだ。感心はするけど真似はできないししたくもない。タクシーの運転手にもまずは目的地の近くのわかりやすい場所にいってもらってそこから自分で指示して行ってもらってもいいし他のタクシーに乗ってもいい。

 

だけどこの人はそういうことが許せないのだろう。経営者というのはこれくらい意地をつらぬかなければダメなのだろうか。僕は絶対にこの人の会社では働けないのは確かだ。

江戸時代は娯楽がなかった

江戸時代は娯楽がほとんどなかった。娯楽がないどころか常に死と隣り合わせの状況だった。江戸時代に限らず室町時代だろうが鎌倉時代だろうがやはりなかったろう。もっと言えば昭和でも戦前はそうだったし現代でも娯楽がない国は多い。だけど僕の中でイメージしやすいのは江戸時代だ。

 

生まれたら死ぬまで生きることに追われて働いて常に死と隣り合わせでその日暮しの生活。そしてそのうち死んでいくという人生というイメージだ。いろいろ問題は多いにしても現代日本は娯楽は多い。金のない人間でも楽しめるモノが多い。特にインターネットの存在が大きい。

 

現代日本に生まれただけで勝ち組と言える。そんなことをたまに考えたりする。もちろんそんなことは言葉遊びのようなものだ。娯楽が多かろうが日本でも不幸な人は多い。僕も必ずしも幸福とは言えない。だけど娯楽を楽しめる日々には本当に感謝して生きていきたいと思う。

モンスターが社会を住みにくくしている

最近、幸いにしてモンスターと接触することがあまりなくなったため平穏な日々を送っている。改めてモンスターが社会を住みにくいものにしているのだと感じる。モンスターは社会のガンだと思う。活動は活発で生命力が強くあっという間に増殖する。そしてモンスター自身も生きづらくなるか死ぬ事になる。

 

平穏な社会の方がモンスターも生きやすく幸せになれる可能性は高い。暴力や大声で怒鳴ったり無茶を言うのが頭り前の社会となれば自分自身も同じような目に合う確率が高くなる。暴力で争う社会になれば最後のひと握りの勝ち組しかおいしい思いができない。

 

そういった理屈をいくら考えてもこの世から病気のガンがなくなることもモンスターがいなくなることも暴力がなくなることもない。なるべく遭遇しないように気をつけるぐらいだ。モンスターと出会わないことが幸せになる上で大切なことだ。モンスターと関わることに比べれば孤独のほうが何百倍ましだ。

2連勤でいい

以前3連勤が限界と書いたけど最近、2連勤で十分という気がしてきた。水曜日を休みにして月火と木金を勤務にして連続勤務を2までということを標準としたい。2連勤くらいなら、いくら仕事や学校がつらかろうが耐えることができる。過労死もいじめで自殺もなくなるだろう。

 

現在の5連勤の場合、木金ならあと少しということでけっこう気力が湧いてくる。2連勤なら常に木金状態だ。法律で厳しく制限してほしい。転職するにしても週4日、2連勤ならあまり恐れることもない。残業があったとしても週3日休めるならなんとかなる。

 

しかし仮に法律でそうなっても現在の日本の労働基準法軽視の風潮を見ればなんの意味もないかも知れない。民間企業は結局、顧客サービスを優先させなければならないから労働環境は改善できない。正社員で働いている限りは週4日の2連勤は難しい。セミリタイアしてパートの仕事をするほかないだろう。

恩はあっさり忘れられる

人間生きていれば少なからず他人に裏切られる経験はするものだ。親切にしたり面倒見たりしたのに忘れられるだけでなく、こちらに冷たく接して不利益になるような行動をすることさえある。まあ、さすがにそれはそんなにしょっちゅうあることではないけど珍しいというほどではない。

 

それでも生きている以上他人を信じていかないといけない場面は多いし、できるなら親切にしたいという気持ちは持っている。そうではあるけど過去の裏切りを思い出すと苦い気持ちになることは確かだ。一番鮮明に思い出すのは学生時代の頃の出来事だ。学生時代に人を裏切るというのも考えると不思議な話だ。

 

お金とかからんでいるわけでないからあまり裏切る意味がない。僕は当時友人だった男を2週間ほど部屋に泊めてやったことがある。ものすごく落ち込んで傷心だったので理由も聞かずに泊めてやったのだ。はっきり言ってものすごく迷惑だった。ずっと一緒で陰気な顔をしているのだ。

 

さっさと出て行って欲しかったがすごく苦しんでいたようなので理由も聞かず泊めてやったのだ。僕の部屋を出て行く時は殊勝な顔をしてありがとうと言って去っていった。そいつが出て行ってからしばらくしてから会ったらなぜか自信満々の態度で人を見下すような態度になっていた。なぜか僕に対して攻撃的な態度になっていた。今から考えても不思議な人間だった。

 

裏切るというのとは少し違うかもしれないが恩をあっさり忘れるということは間違いない。僕にはとうてい真似できないけど意外とそういう人は存在する。なるべくそういう人と関わらないで生きたいものだ。

よかった探し

昔アニメでよかった探しというものがあった。自分の生活でよかったことを恵まれていることをノートに書き出し自分の人生に感謝するというものだ。なんとなくきれい事っぽくて好きになれなかった。だけど最近よかった探しが人生の正解という気がしてきた。

 

ノートに良かったことだけ書いて常にそれを読むようにして、それ以外のことは考えないようにするのだ。自己催眠でも自己満足でもなんでもいいけど精神状態が幸せなら幸せなのだ。拷問されたり飢えたり凍えたりといった絶対的な不幸というのは存在するだろうが現代日本では相対的な不幸や精神的不幸のほうが多い。

 

相対的な不幸や精神的な不幸ならよかった探しで何とかなるような気がする。しばらくは試してみようと思う。

記憶に関する小説を読んだ

記憶をテーマにした小説を読んだ。数時間しか記憶が持たない人間が主人公の小説だったけどなかなか面白かった。僕が思ったのは数時間しか記憶が持たないのは不便だけど嫌な記憶が消えるのはうらやましいなということだった。僕は嫌な記憶によく苦しめられるからだ。

 

自分でも不毛だと思うけどどうすることもできない。つくづく思うのは幸せとは精神状態の一種だ。だから嫌な記憶が消えて現在そんなに嫌なことがなければ幸せだということだ。パソコンからデーターを消すように嫌な記憶を消せないだろうか。ここ数日そのことをよく考えている。

 

何か方法があるような気がするのだ。過去の嫌な記憶を消せれば残りの人生を平穏に過ごすことができる。たとえば嫌なことを紙に書いて燃やすとかそういった儀式めいたことで消せないだろうか。余計に記憶が強化されるだろうか。記憶に興味がでてきたのでいろいろ調べてみたい。