ツレズレ日記

日々思ったことを書いていきます。

睡眠障害が続く

相変わらず睡眠障害が続いている。夜の9時になると猛烈な睡魔に襲われる。昨日もブログを書こうと思ってパソコンの前に座ったが睡魔に襲われ倒れるように眠ってしまった。そうして深夜の1時とかわけのわからない時間に目が覚めてしまう。わりとすっきり目が覚める。

 

それで1時間か2時間起きたままでその後はうとうとした状態で朝になる。場合によっては2時間ほど起きたあとまた眠ることができる。そしてまた夜9時ほど睡魔に襲われることになる。人間の体は原始時代と変わらないという。つまり原始時代に最適化した体ということになる。

 

いったい夜中の1時とか2時にすっきり目が覚めるというのは原始時代に役に立ったのだろうか。今はまたブログを書こうと思ったら椅子に座ったまま1時間ほど寝落ちして目が覚めてブログを書いている。幸い眠気が引いたのでブログを書けている。このまま頑張って12時まで起きて睡眠のリズムをまともにしたい。

 

それにしてもなんで睡眠にこんなに苦労するのだろうか。世の中には僕以外にも苦労している人は多いという話はよく聞く。人間の体の不便さを感じてしまう。そもそもなんで眠らなければならないのかはっきりわかっていないらしい。眠っている間も人間の体はほとんど起きているときと同じように動いている。

 

いっそのこと眠らないですんだらいいのにと思うこともある。それはそれで権力者にメチャクチャ働かされて辛いことになるかもしれない。なんにしても睡眠についていろいろ調べていい方法があればブログに書いていきたい。

キレルかキレないかそれが問題だ

生きているとキレルかキレないか悩む時がある。感情が爆発して考える瞬間がないときはともかくとしてキレそうな時にどうするか考えてしまう。いやらしい話になるけどキレた時の状況を計算してしまう。メリットデメリット、キレた相手に今後頼みごとをするような可能性はないか、自分のほうにミスはないかなど意識的無意識手に考えてしまう。

 

最近キレそうになって思いとどまったことがある。こちらにはミスがないのに一方的に責められたのだ。キレるのは思いとどまったけど数日イライラしてしまった。しかし後日自分にもミスがあったことがわかった。ミスのない部分で責められていたのは事実だったのだけど、とりあえずキレずにいて良かったと思ってしまった。

 

キレずにすむならそれに越したことはない。状況によってはキレると取り返しのつかないことになる可能性もある。あくまでも冷静に論理的に自分の正当性を主張したいところだ。だけど人生にはキレたほうがいいという場面もまれにあるから難しい。一番いいのはキレるかキレナイか悩まない状況になることだ。今はそれを目指している。

人は自分を救済するためにブログを書く

アニメで人は自分を救済するために生きているというセリフがあった。それを聞いてふと思ったけど人は自分を救済するためにブログを書いているのかもしれない。文章を書くと気持ちがスッキリして精神が安定するように感じる。一時的なものだとしてもけっこう日常生活に与える影響は大きいかもしれない。

 

ただ文章を書くということはけっこう面倒で大変なことでもある。ある程度書き続けると言いたいことを言い尽くして書く事がなくなってしまうということもある。だから続けることはかなり大変ではある。だけど文章を書く効果も大きいのでなんとか続けたい。

 

文章を書くだけでも価値はあるからブログでなくてもいいといえばいい。だけど一人でも他人に見られる可能性がある状況のほうがまともな文章を書こうとして価値は高くなるような気がする。いつまで続けられるかはわからないけど続けられる限り続けたいと思っている。

飲食店で大声で話す人間

たまに飲食店で大声で話す客がいる。居酒屋とかならまだわかるけどファミレスやカフェでハイテンションで騒ぐ人間がいる。少し神経質かもしれないけど大声を聞いていると精神が消耗する。カレー屋とかモスバーガーでも騒ぐ人間はいた。なんというか普通に大きい声で話すというだけでなくハイテンションというところがポイントなのかもしれない。

 

なにがおかしいのかしょっちゅう大声で笑い続ける。時々キーとからウーとか奇声を発したりもする。それだけ笑い続けたりハイテンションで居続けられるのはうらやましいという気がしないでもない。推測だけどああやってハイテンションで大声でしゃべるのが彼らのコミュニケーションの仕方で特に嬉しいことがあったわけではないような気がする。

 

なんにしても大騒ぎする人間とは遭遇したくはない。だけど結局運しかないのでなるべく個室を予約するか高目の店に行くしか大声人間と確実に合わない方法はないようだ。

幸福の定義を改めて考えた

幸福の定義は人それぞれだろうけど、最近改めて考えてしまった。衣食住そろっている、睡眠がしっかりとれるなどが最低限の条件として考えられる。あとはやりがいのある仕事、豊かな人間関係、没頭できる趣味があるかどうかということだろうか。これらは幸福のプラスの要素だ。

 

病気にならない、事故に合わないなどマイナスを避けることで幸福の状態を維持することも重要だ。このマイナスを避けるという要素でかなり重要と思うのが嫌な人間とあまり深く関わらないで済むということだ。仕事がつらい、学校がつらいというのはだいたい嫌な人間と深くかかわる必要がある場合だ。

 

生理的に嫌いな人間に色々相談したり報告したり頼みごとをしなければならないという状況がつらいのだ。仕事そのものが辛かろうが勉強が苦痛だろうが周囲の人間が自分の味方でワイワイ楽しくしゃべる関係があればそこまで精神的に追い詰められないし幸せと言える気がする。

 

周囲が味方でなくても嫌な人間が深く関わらないですむなら十分幸福になれる。パワハラやいじめで命を絶つ人は結局、嫌な人間と深く関わる生活になってしまったと言える。嫌な人間と関わらないのが重要といっても組織に所属していると人間関係の調整が難しい。

 

幸い今は人間関係が良好な職場にいるが先日嫌な人間とあれこれやりとりする必要ができて精神力をごっそり削られた。幸せになるためにはやはりセミリタイアが必要だなと改めて思ってしまった。

小説以外の本も読もうかなと考えている

最近小説ばかり読んでいる。以前はビジネス書も並行してよく読んでいた。ホリエモンが書いているような本。時間の使い方とか手帳の使い方とかそういう本をよく読んだ。まだ成長したいという気持ちが強かった時のことだ。たくさん読んだ結果、何一つ変わっていない自分がいた。

 

もしかすると自分では気がつかない部分で変わっている可能性はある。だが残念ながら体感的には何も変わらなかった。どうせ何も変わらないなら楽しい思いができるだけ小説のほうが良くないかと思ったのだ。実際それで満足のいく日常生活が送れている。しかし話のタネとか脳に刺激を与えるという意味で小説以外の本も読んだほうがいいのかなという思いはまだ残っている。

 

僕にとって本は役に立つか立たないかというより面白いか面白くないかということが重要だ。どうせ役に立つ本というものはほとんど存在しない。役に立つような雰囲気を持つ本があるだけのように感じる。それでも小説以外でも面白い文章だったり変わった考え方だったり読んで楽しい本が存在するのも確かだ。小説以外でも面白い本を探す努力をしていこうかなと考えている。

タメ口を聞く店員

何年か前の話になるけどタメ口を聞く店員に遭遇した。わりと大きなスーパーだった。正直タメ口のほうが気になって言っている内容が頭に入ってこなかった。不快な気持ちになったわけだけど「客に向かってタメ口きくなよ」というようなクレーマーっぽいことも言いたくなかった。

 

そのためスルーした。そもそもスーパーで特別口を聞きたくないのだ。だけど客に向かってタメ口を聞くというのは理解しがたい。職場では客どころか年下の同僚でも丁寧語で話している。今時コンビニのアルバイトだってきちんとした接客をする人は多い。あれはどういうことだったのだろうかと純粋に疑問に感じて思い出すことが今だにある。

 

推測するにあの瞬間あの店員は素の状態に戻っていて一市民として話しかけていたのかもしれない。一市民としてだったとしてもタメ口聞くなよなとは思うけど。それに仕事中に素の状態に戻るなと言いたくもなる。でもタメ口かタメ口でないかを気にする自分というのもあまり好きではない。

 

でも日本語においてはけっこう意味を持ってしまう。英語が母国語のほうが良かったなあとよく思ったりする。