ツレズレ日記

日々思ったことを書いていきます。

M1は視聴者投票ではだめなのだろうか

僕はそれほどお笑いファンというわけではないけど3年前にたまたまみたキングオブコントの番組がけっこう面白かったのでそれ以来キングオブコントとM1は少し気にしている。見ているとなぜこんなに面白いのにこんなに点数が低いのかとという時となんでこんなしょうもないのがこんな高得点なのかという時が必ずある。

 

僕が一番感じたのはキングオブコントの準優勝したにゃんこスターのコントだった。まったく理解できないし、くすりとも笑えないのに審査員が次々と高得点をつけていくのを見るのは不思議でならなかった。しかしこういったことは誰が審査員になったとしても必ず起こることなのだろう。

 

誰が審査員をしても必ず不満や疑問は出るのだと思う。いっそのことネットの視聴者投票で決めるというのはダメなのだろうかと思ってしまう。大物芸人はコメントだけして笑いをとって番組を面白くすればいいのではないだろうか。もともとお笑いは一般大衆が面白いと思うかどうかが大事なはずだ。玄人がどう思うかよりも大事といっていい。

 

ネットで視聴者投票による決定だったら審査される方も納得しやすいのではないだろうか。

ラインやメールは不吉な知らせしかない

僕のラインやメールには基本的に職場からのものがほとんどだ。そしてそのほとんど気持ちが滅入る内容だ。聞いて幸せになるような連絡はまったくない。今ではラインの着信音が呪いの音に聞こえて暗い気分になる。文章を考えてメッセージを送るだけでもけっこう時間を使ってしまう。

 

プライベートな時間になんでこんな目に合わなければならないのかと悲しい気持ちになる。法律でプライベートな時間のメールやラインのやりとりは禁止してほしいが職場をスムーズに回していくということを考えると現実的ではない。

 

簡単に体調が悪くなったと言って休む人間に怒りを感じてしまう。しかしこれはブラック企業の思考なのかもしれない。だけど休んだ人の分まで誰かが働かなければならないのは確かだ。この職場からのメール地獄から解放されたい。

 

といってもそんなにしょっちゅうあるわけではないのだけど一回のインパクトが強いからよくあるような気分になってしまう。連絡手段の発達によって便利になったのは確かだけど拘束もされてしまう。職場からの電話やラインは本当になくしたい。

ノートパソコンを外部モニターにつなげた

小さなノートパソコンを使っているので今まで画面が見にくかった。職場に行くと大きなディスプレイで仕事をして快適にパソコンを使っているので家に帰るといつも気になっていた。大きなモニターのためだけにパソコンを買い換えるのもバカらしく我慢して使っていた。

 

もともと小さなパソコンを買ったのは喫茶店やカフェなどで作業するためだった。しかしやがて外で作業することはなくなり小さなパソコンでストレスだけが残ってしまった。もともとゲーム用に大きなモニターは使っていたのでそれをつなげればよくないかということを思いついた。

 

普通はすぐに思いつくことなのだろうが僕はパソコン関係にうとく思いつかなかった。それでパソコンとモニターを接続しようとしたのだが画面がモニターになかなか映らず苦労した。結論から言うとコードをつなぐだけなので他の人なら苦労しようもないのだけどなかなかうまくいかずストレスがマックスになった。

 

ようやく画面がモニターに映ったのだが今度は音がでない。これでもまた苦労したが単にミュートになっていた。ミュートにした記憶はまったくないのになぜなっていたのだろうか。パソコンでは時々こういう事が起こる。妖精が僕を困らせようといたずらしているのだろうか。

 

とにかく今は大画面でパソコンを作業できるようになった。モニターをもう一個買うかどうか検討中だ。ゲームと簡単に切り替えられれば一台でいいかもしれない。将来的には動画作成もやっていきたいという思いもあるので2台あってもいいかなという思いもある。アマゾンのサイバーマンデーも近いしどうするか悩ましい。

久しぶりにモンスターに攻撃された

久しぶりにモンスターに攻撃されてごっそり精神力を削られた。ささいなどうでもいいことで大騒ぎするのがモンスターだが、今回もそうだった。平穏なはずの一日が波乱の一日となってしまった。モンスターとからまない日々がどれだけありがたいか再確認できた、と自分の心をなぐさめている。

 

一時は同じ部署に3人もモンスターが存在していたこともあった。毎日心を削られていた。他の部署のモンスターと絡まなければならないことも多くつらい日々だった。そんな生活に比べれば今はとても恵まれている。でもいつかそれも当たり前となっていろいろ不満を持つようになってしまう。

 

たまにこういうことがあるといろいろ感謝しなければならないことに気が付く。感謝の気持ちを忘れないために、たまには不快な出来事にあったほうがいいのかもと思わぬでもない。でも本当にたまにでいいんだよね。3ヶ月に1回くらいでいいかな。自分では調整できないのが残念なところだ。

鉄拳7で餓狼になった

鉄拳7という格闘ゲームを始めて1年以上がたった。ずっと遊び続けていたわけではなくてやったりやらなかったりだけどポツポツと続けていた。先日ようやく餓狼という段位になることができた。まだまだ初心者のレベルだけどけっこう嬉しかった。最近は1日2試合だけやっている。

 

この試合数ではたいしてうまくなることはないが楽しむことを優先しているのでこれでいいのだ。①同じ相手と連戦はしない②1日2試合まで というのが僕が鉄拳を楽しむにあたって必要なルールとなっている。試行錯誤の上このルールにたどり着いた。同じ相手に連敗すると精神力がごっそり削られ楽しい気持ちにならない。

 

1試合するとクタクタに疲れるので1日に2試合までが楽しめる試合の上限数ということがわかった。実際格闘ゲームをしていると初心者相手に舐めプをしたり死体蹴りをしたりという人間も少なくない。それが嫌でやめてしまう人も多いだろう。僕もそれが嫌で何回かやらなくなる期間があった。

 

そういった経験をしながら自分が楽しむためのルール作りをした結果、連戦をしない、1日2試合というルールにたどり着いた。続けているとやはり鉄拳はよくできたゲームだとわかる。これからもあまりうまくならなかったとしても地味に楽しんでいこうと思う。

理想の社会とは

理想の社会とはどんな社会だろうか。たまにそんなことを考える。生きる人すべてが満足いく仕事について充実感を感じて健康でプライベートな生活も楽しんでいる社会だろうか。しかし高収入だったり安定していたり充実感のある仕事というのは競争率が激しく一部の人しかなることができない。

 

そういう仕事につけなかったからと言って必ずしも不幸というわけではないけど大半の人間は望まぬ人生を送るように構造的に社会ができていると言えるのかもしれない。人間社会とは基本的に格差社会であり奴隷社会であるようにも思う。そう考えると今の日本は実現可能な範囲で限りなく理想に近い社会と言える。

 

歴史上、後にも先にもこれほど豊かで平等で平和な時代はもはやないような気がする。この時代の日本に生まれることができた時点で宝くじにあたったレベルでラッキーなのだ。

時代が違えば共産主義になっていたかも

格差格差と言っても日本にいるとそこまで感じることは少ないように思える。金持ちと言ってもそれほど庶民と日常生活が違うわけではなさそうだ。もちろん超大金持ちとなるとまた違うのだろうけど、そんな人を見かけることは少ない。日本は階級制度や身分制度もない。

 

だけど社会というのはとにかく格差を作ろう作ろうという動きが働くようだ。日常生活に特に不満はないけどあまりに大きな所得差はなくなったほうがいいと思ってしまう。年収200万円の人間がいるかと思えば年収何億円の人間もいる。必ずしも本人の能力や努力と言ったものだけでは片付けられない差だ。

 

時代が違えば僕も共産主義者になっていたような気がする。現在は共産主義は全員が不幸になるということを歴史が証明している。共産主義国家になるとなぜか秘密警察と独裁がセットでついてくる。それが不思議と言えば不思議だ。共産国家でありながら普通選挙を実現できないのはなぜだろうか。

 

そもそも共産主義とはみんな平等のはずではないのだろうか。結局どんな体制だろうが人間社会はとてつもなく格差ができるということなのだろう。どうせ格差ができるなら自由や豊かさがあるほうがいい。自分が共産主義になっていたかもしれないと思うと恐ろしい気もする。