ツレズレ日記

日々思ったことを書いていきます。

なぜ長谷川豊氏は失言を繰り返すのだろうか

あまり詳しくニュースを見ていないが長谷川豊氏がまた失言をして世間から猛烈な避難を浴び党の公認を停止されたらしい。以前も失言をしてテレビのレギュラーをすべてなくしていた。失言しなければ売れっ子のテレビタレントとして面白おかしく生きていけたはずだ。それなのに失言ですべて失ってしまった。さらにまた失言を繰り返すというのはよくわからない。

 

普通はもう少し用心深くなるものではないのか。やはり毒舌家とかなんでもズケズケ言うキャラクターは一定の人気があるので憧れてしまうのだろうか。毒舌家は人気もでやすいかもしれないが反動も大きい。そう考えると毒舌キャラクターで特に炎上もせずにうまくやっている人はかなり頭がいいのかもしれない。どの程度まで発言が許されるのか正確に計算していると思われる。

 

長谷川氏はそのあたりの計算があまいから問題を起こしてしまうのだろう。まったく無名の人間が名をあげたいなら毒舌キャラもありだろうが金もあり社会的地位もある人間が無理に毒舌キャラを演じる必要はないような気がする。そうなると政治家は毒にも薬にもならないことを言うだけの存在になってしまうのかもしれない。そして実際にそうなっているのだろう。なんにしても長谷川氏は毒舌キャラはやめたほうがいい。もっと言えばメディアにでるような仕事はやめたほうがいいと思われる。

不登校Youtuberについて思うこと

少し前に不登校Youtuberがずいぶん話題になった。10歳の小学生がYoutuberになって学校に行かなくてもいいと主張して実際に学校には気が向いた時しかいっていないらしい。僕自身はその動画を見てはいないのだけど話を聞くだけだとその10歳の少年の未来は不幸な未来しか見えない。だからその少年が悪いと言いたいわけではなくて学校に行かなくても幸せな人生が送れるような社会になってほしい。

 

今の社会は学校に行かないと幸福な人生、少なくとも人並みな人生は送れないようになっている。現状は学校に行くか人生が破滅するかどちらかを選択しなければならない。だから学校に行くのが辛くて仕方ない人の中で死を選ぶ人さえ出てくる。学校至上主義は馬鹿げた話だ。他にいくつか選択肢があったほうがいい。大人でも仕事が耐え難い時は辞めたり転職したりする。

 

しかし子供の場合、小学生や中学生の場合、死んでも学校に行けというのが社会の空気だ。この不登校系Youtuberがこの流れに一石を投じられればいいけど残念ながら何も変えられないだろう。この少年が幸せになれるかどうかはYoutuberとして成功するかどうかということで学校がどうとかはあまり関係がない。

 

僕は学校が嫌いで仕方ない人間だったのでこの小学生をあまり悪く思う気持ちはない。むしろ学校至上主義の社会が変わってくれと願ってしまう。

飲み二ケーションの敗北

飲み二ケーションというものを以前はけっこう信じていた。飲みながら話せば多少は距離が縮まりトラブルがあったとしても友好関係を維持しながら仕事を円滑に勧められるのではないかと思っていた。職場でトラブルが起こるたびに当事者と飲みに行くように努めていた時期があった。飲んでいるときは多少友好的なムードもあり、そこそこ楽しい時間だったりもする。

 

しかし結果として一緒に飲みに行った効果を感じることはあまりなかった。むしろ多少距離が縮まったがゆえに遠慮容赦なく責められるような場面もあった。どっちみち激しく責められるなら飲みに行かない方が時間とお金を節約できていい。もちろん本当にプライベートな時間でも会いたいと思えるような人間なら話は別だけどそんな人間は滅多にいない。

 

飲み二ケーションで良好な人間関係を築けるどころか飲み会でトラブルが起こることも何回かあった。さらに飲み会があるとそういう場が苦手な人も無理に誘うような場面も普通にありハラスメントに近いものがある。職場での飲み会は法律で禁止したほうがいいと個人的には思うのだけど、そういうのが大好きな人も大勢いてあまり賛成は得られないかもしれない。

恐ろしく無気力な状態

最近、恐ろしく無気力な気持ちになっている。仕事や勉強、ブログなどももちろんのこと娯楽関連も何もやる気が起きないのだ。人生の虚しさばかり感じてしまう。うつ病とは違って心が異常に沈むという感じでもない。これがいわゆる更年期障害というやつだろうか。時間がたてば回復するのだろうか。

 

せめてブログは定期的に文章を書くようにしたいのだが思い続けて何もしないまま日々が過ぎていく。この無気力感を言い訳にしてただだらけているだけとも言えるのかもしれない。何も考えずただ淡々と決めたことをやる日々を送るのがいいような気がする。というかそれしかないだろう。

 

ひとまずブログを書くこと、英語を勉強すること、掃除をすることくらいは毎日何も考えず続けよう。

トイレに行きたい時にいけない

僕は外出があまり好きではないけど、その理由の一つとしてトイレに行きたい時に行けないというものがある。デパートなどに行ってもトイレ行くと個室のほうは並んでいるということがよくある。駅などでも並んでいる光景は何回か見たことがあった。緊急の場合はアウトとなる。もともとトイレに近い人間なので外出には抵抗がある。学校が嫌だったのも一つにはトイレに好きな時にいけないというのがあった。

 

おなかの調子が良くない体質なのか一度行ってもまた行きたくなることがよくある。その点職場の方がトイレに好きな時に行けるのでありがたい。登山など絶対に行きたくない。登山の場合、トイレに近くない人でも外でせざるを得ないのかもしれないが僕には抵抗がある。映画やドラマ、小説などの描写ではトイレを無視したものが多い。みんなで旅をして夜は焚き火を囲んで食事をするというシーンはよくある。

 

だけど簡易トイレを設置するというシーンはほとんどない。男ならまだいいとしてもヒロインなどは困るんじゃないかとよく思う。家の中にいても家族とかち合うことは時々有りストレスがたまる。自分専用のトイレがありいつでもいけるという状態がやはり理想だと思う。アウトドア派の人はあまりそういうことは気にしないのだろうか。

ブラックバイトの謎

ブラックバイトという言葉がある。バイトの立場なのにノルマを課されたりサービス残業させられたり休みをもらえなかったりするらしい。こういうバイトにあったら公的機関に相談をしてください、みたいなネット記事を読んだことがある。しかし僕にはこのブラックバイトというものが存在できるのが不思議でならない。どうしてブラックバイトを続ける人が存在しているのかが理解できない。

 

かつてはバイトは無責任の代名詞だったような時代もある。今ではバイトでもしっかりした人も多いような気がするが、そうだとしても時給いくらで働いているので正社員ほどは頑張らないケースも多い。何も保障されていないのだから自分を犠牲にして頑張るというのは普通に考えればありえない。実際僕が見てきたバイトもやることはやるけど必要以上はやらないし頼んでもシビアに断ってくる人が多かった。

 

あまりバイトに要望を多くすると容赦なくやめていく。正社員よりもやめることに対してためらいがないのもバイトだ。どう考えてもブラックバイトのような理不尽な仕事を黙々とこなす人間が存在するのが信じられない。そんな人のいい人間がいるなら待遇はもっとよくするか僕が採用したいくらいなのだ。本当にブラックバイトというのは存在するのだろうか。都市伝説のような気もしている。

アルコールをまた毎日飲んでしまっている

4ヶ月ほどアルコールを飲まない日々が続き特に飲みたい衝動もなくなったためこのまま一生飲まないことも可能なのではないかと思っていた。しかしプライベートいくつか重要なことが起こり心がドロドロの不安定な状態となった。職場ではかろうじていつもどおりの振りをしていたが家に帰るとウィスキーを飲むようになってしまった。毎日飲んで2週間ほどがたつ。

 

結局アルコール抜きでも人生を過ごせると思ったところで何か心が折れるようなことがあればまたアルコールを必要としてしまうのだと実感した。しかし心がいちおう落ち着いたので久しぶりにアルコール抜きの1日を送った。アルコール中毒というほど飲むわけではないので別にいいじゃないかという気持ちもある。生きているだけで大変なことなので今日一日無事に過ごせたなら祝杯をあげてもいいくらいなのかもしれない。

 

それでもアルコールを楽しみたいからこそアルコールの価値を高めるために毎日飲まないほうがいい。それではどのくらいのペースで飲んだほうがいいのだろうかという問題がある。一番多いペースでも1日おきに飲む感じだろう。理想としては1週間に1回くらいだ。そういうわけでとりあえず今日は無事生き抜いたことを祝ってウィスキーを飲もうと思う。