ツレズレ日記

日々思ったことを書いていきます。

メイウェザー対那須川天心を見て

昨年の大晦日メイウェザー那須川天心戦が話題になっているようだ。僕は格闘技にまったく興味がないのだけどなぜかYoutubeのおすすめの動画に表れてきた。それで見てしまったのだけど、ボクシングという競技もよく法律で許されているなあと感じた。頭に一発ダメージを喰らうだけで普通の人間は意識を失ったり肉体に大ダメージを負う。

 

それをプロ同士の鍛えたパンチをお互いに打ち合うのだから危険極まりない。よく人が死なないなと感心する。たまにボクシングのニュースがテレビで流れるのを見ると目をはらして顔もボロボロになっているボクサーの姿があったりする。それに比べるとメイウェザー那須川天心戦はタオルを投げるのが早かった印象だ。

 

素人目には特にそんな大ダメージを負ったようには見えなかったけどあっさり投げてしまった。まともな感覚ではそれでいいと思うけどエンターテイメントというか興業的にはかなり地味で短いと思った。それでも格闘技はものすごい人気がある。やはり単純にどっちが強いのか決めるというのが人間の闘争本能を刺激して興味を引くのだろうか。

国家権力は恐ろしい

普段生活をしているとあまり国家権力というのは感じることはない。日本は比較的平和な国だし民主国家であるので秘密警察に捕まったりということもない。そんな日本だけどやはり国家権力というのは強力で恐ろしいもののようだ。税理士の知り合いからきいたのだけど税務署に確認して税金を納めたにも関わらずあとで適切な税金を納めていないとして追徴課税を課されることがあるらしい。

 

裁判になっても全部国が勝ってしまうということだ。その理屈は税務署員の言ったことはその人個人が言ったことで税務署の見解ではないということだ。その理屈が通用するならどんな組織も責任など取る必要はない。全部個人がやったことですませられる。だけどそんな正論は国家権力に踏みにじられてしまう。

 

警察も国家権力としては身近な存在だ。日本の警察はまともな人がほとんどだとは思うけどそれでもたまに信じ難いニュースが流れてくる。忘れられないのは何の罪もない高校生を捕まえて罪を認めなければ学校に戻れなくするぞと脅した事件だ。高校生が録音してなければ明るみにならなかったろう。

 

権力というのは強大だから秩序を保てるのだけど自分に牙を向いてきたときは恐ろしい。できることなら関わらず平穏に生きていきたいものだ。

2019年の目標

2019年はいろいろ目標はあるがそのひとつの目標として感情をコントロールすることがある。なぜかよく過去の嫌な出来事が頭の中にフラッシュバックする現象に悩まされてきた。いっそのこと記憶喪失になりたいと思う時もある。コンピューターのデーターのように任意に記憶を選んで消去できたら人間はもっと生きやすくなるだろう。

 

いつもいつもフラッシュバックしてくるわけではないけど、よくそういう状態になってしまう。だが多少だけどフラッシュバック現象を減少する手応えを感じている。今までも感情をまったくコントロールできないわけではなかった。だけど時々暴走してしまっていた。

 

今年はもっと感情をコントロールすることができるような気がする。僕の願望は平穏な気持ちで毎日を過ごしたいという言ってみればそれだけのことだ。他の目標は達成できなかったとしてもこの目標はかなえたい。

2018年を振り返って

1年を振り返るとここ数年の中では比較的平穏だった。とりあえずは自分の幸運を喜ばないといけない。この平和で豊かな日本で平穏に生きれることに感謝をしよう。職場崩壊の足音が聞こえてきているが今までもそういうことは何度かあった。来年も乗り越えられることを祈るしかない。

 

プライベートな面ではブログや動画を頑張ろうと思っていたけど途中でやる気があまりなくなっていった。来年はもう少し頑張りたい。特に動画はまったく作らなくなってしまったので続けることを目標にしたい。Youtubeで登録者数1000人を超えるくらいになりたいと思っている。

 

職場がどうなってもいいように副収入を得たいという野心を持っていたがそれも消えつつある。だけど来年もう一回やり直そうと思う。来年の今頃はいい事がかけるといいのだけどどうなっているだろうか。

孤独死は不幸なことなのか

孤独死がいろいろ話題になっているけど個人的には孤独死を不幸なこととは思いたくない。家族と暮らしていても仲が悪く針のむしろに座っているような状態だったらつらいだろうし病気になっていてもつらいだろう。江戸時代から昭和初期の農村など家族はたくさんいただろうけど、身売りしたり餓死したりとても幸福そうとは思えない。

 

現代の一人暮らしの方が快適なのは間違いない。一人暮らしだろうが家族と暮らしていようが本人の精神状態や健康状態によって幸福か不幸かは変わってくる。当たり前といえば当たり前だ。老人の一人暮らし=不幸というふうに決めつけたくはない。現代のようにネットや娯楽が豊富にあり飽食で治安もいい日本に住んでいれば一人でも快適に生きている人もたくさんいるだろう。

 

核家族化が当たり前となっている社会では子供や孫がいたとろころで死ぬときはひとりぼっちの可能性は高い。孤独死=不幸という考えは多くの人にとってあまり好ましいものでないような気がする。孤独でも幸せという考えが広まったほうが多くの人にとっても生きやすい社会だと思うけどどうだろうか。

読者登録しているブログがよく中断する

読者登録しているブログがよく中断してしまう。「公開範囲を限定しています」という状況で読めなくなっているようだった。僕から見れば人気ブログで恐らく少なく見ても月間10万PVはあるだろうと思われるものばかりだった。せっかく人気ブログなのにもったいないなあという気持ちで再開するのを待っていた。

 

しかし最近ふと中断しているブログに行ってみると他のブログに移転しているようだった。「公開範囲を限定しています」と言われたから素直に信じていたら移転ということだった。本当に中断しているブログもあったがほとんどは移転していた。考えてみれば人気ブログが中断するということはあまりないような気がする。

 

今の時代は人気ブログをもっているということは現金収入があるということだ。現金収入があるという強力なモチベーションを捨ててブログをやめるという決断はなかなかできないだろう。そもそもそこまで人気ブログを育てるくらいだからブログにも愛着があるだろうしなかなかやめる人はいないと思われる。

 

人気ブログを持っているというだけで僕には勝ち組に思える。僕も面白い文章を書いて人気ブログを作りたいという希望を持っているがなかなか現実は厳しい。だけどライフワークとしてブログは続けていこうと思っている。

将来の事が無性に不安になる時がある

たまに将来のことがやたらと不安になることがある。具体的になにがというよりはだんだん年をとって自分も周囲の人間も飼っている猫もいつか弱って死ぬことが無性に不安になるのだ。ぽっくり死ぬ分にはいいのだけど介護が必要な状況になったらどうしようとか考えてもどうしようもない不安を感じてしまう時がある。

 

僕だけではなく世界中の人間が年をとる運命で不老不死になることはできない。50年後には今現在生きている人間の大半は死んでしまう。普段は気にしないのだけどある瞬間に猛烈に不安になる。悩んでも努力してもどうなる問題でもないから運命の流れに身をまかせるしかない。

 

こういう不安に対処するために宗教はあるのだろうか。宗教心のない人間である僕はこの不安を感じながら生きていくしかないだろう。独裁者だろうが大金持ちだろうがこの点に関しては同じだ。どうすることもできないのだから、運命の流れに身をまかせよう。